もう、長々と書く。
安倍が殺されようが、婆ちゃんが死のうが、友達が自殺しようが泣かないのだが、さっきから涙が止まらない。
ある程度歳をとると、新たに嫌いになる物は多くても、新たに好きになる物は中々ないもので。
そうして偏屈になっていくものなんだろうなって改めて思った。
中学生くらいかな。私自身武藤敬司のファンであり、新日本プロレスのファンで柔道をしていたこともあり、格闘技も好きだった。プロレスではなく、新日本プロレスのファンと書いたのは、格闘技好きもあり、橋本vs小川戦なんかでわかりやすい殺伐としたいつシュートが行われても可笑しくない空気感とそんな会社を作りそれを実践し認めてきたアントニオ猪木が好きで、完全なプロレス縦社会を作った馬場が嫌いだった。
WWEくらいまでわかりやすくするとそれはそれで面白くて、プロレスという概念が好きになり馬場を認めていくようになるのだが。それでも根底にシュート信仰とプロレス幻想がせめぎ合いその頂点に位置する猪木が好きだった。
私自身35歳で、猪木世代ではない。
馬場と猪木が闘ったらどうなるだろうか?
私くらいの世代までのプロレスファンは皆考えたことあると思う。
そして想像するのは毎回猪木のブック破りなのだ。
馬場も分かりきっている。
猪木対馬場なんて組まれるわけがない。
馬場の指の骨を折ってでも、レフェリーのいない所で目に指を入れてでも、馬場の肉を噛み千切ってでも反則負けを宣告されてもでも、最後にリングに立っているのは猪木だと、握手から試合開始するもんなら猪木は合気道を本気で習い先制するものだと思ってる。
周りの先輩方や、歴史的偉人、哲学者よりもアントニオ猪木から学び得たことが多い。
世代でもないのに、完全に猪木信者だ。
本当にろくでもない人物から影響を受けていると思う。それなりに綺麗事で生きている自信あるけど、悪ぶってるつもりもないけど人の嫌がることをわざわざ言ったり、行動したりするのは確実に猪木の影響だと思う。
気がついたら猪木イズムを受けていた。
直接意見ぶつけられるのは私は好きだ。
それがただお前のことが気に入らんねんとか考え方が嫌いやねんでもいい。
9の意見を受けて10の言葉で説き伏せよう。
その上で相手を認めようと思う。

私も猪木イズムの継承者だ。

猪木の死、武藤の引退。
私の中でのプロレスは本当に終わってしまう。

それでも人生そのものはプロレスなのだ。
猪木イズムによって示された道
自営業者として人に嫌われてでも曲げるな、折れるな、引くな。と良く口に出す。
調和よりも理想という思想は間違いなく猪木から受け継いだもので私はこれからも猪木イズムで生きていくのだと思う。

貴方の生き様があったから今の私が存在する。

ありがとうアントニオ猪木。